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東京地方裁判所 昭和58年(タ)585号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

遠藤順子

被告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

能勢英樹

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

一被告の、本件訴は人事訴訟手続法九条二項に反するとの主張は、原告が前訴〈編注・東京地方裁判所昭和五八年(タ)第二五号離婚無効確認請求事件〉確定後の事情を婚姻を継続し難い重大な事由として主張しているから、理由がない。

二〈証拠〉に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、秋田県出身で上京して国鉄に勤務していたところ、原告の秋田県出身者をとの希望もあつて、原告の従兄弟の関係にある被告と結婚することとなり、同二二年一一月二三日結婚し、同二三年四月六日婚姻の届出をした。

2  被告は、結婚と同時に上京し、現在の被告肩書住所地の借家において原告、原告の両親及び弟と同居した。原告は国鉄に勤務し、原告の両親も働いていたが生活は楽ではなく、結婚して数年後からは、被告も内職などをして家計を助けるようになつた。結婚当時家計の管理は原告の父がしていたが、三、四年後には被告が預るようになり、徐々に貯えもできるようになつた。

3  同二八年ころ原告らが居住していた借家を購入し、同四六年ころにはその敷地を購入した。同三〇年ころにはすでに原告の母親は仕事を辞め、同四〇年ころには原告の父も仕事をしなくなつており、原告の弟が独立した後の原被告及び原告の両親の生活は原被告の働きによつていた。

4  原告との間には子供がなく双方淋しい思いをしていたが、特に問題もなく、平穏な日々を過していた。被告は、体の弱い原告を気遣い、また、原告両親の夫婦が円満でなかつたこともあつて気疲れもあつたが、その仲を取りまとめるよう心掛け、被告に対する原告の両親の信頼も非常にあつかつた。同四二年原告の父が死亡した。

5  右のような生活が二五年間位続いた後、同四八年ころから原告の行動に変化が見えはじめた。被告の作る弁当を断つたり、帰宅が遅くなり、その際の行先が不明であつたり、被告の見知らぬ鍵を持つていたり、不動産業者の宣伝用ちらしに鉛筆で印をつけていたりというような種々の行動であり、右のような行動につき被告が原告を追及しても納得のいく返答はなかつた。また、原告は、国鉄を定年前に退職し、退職金を元手にして女性と一緒に旅行斡旋業をやりたいと言い出した。これに対しては被告のみならず、原告の親族の反対にあい、実現しなかつた。そうするうち、原告は、同四九年一〇月二〇日、当時交際していた愛子と示し合わせて家を出た。

6  同日付で、原告から被告に対し、いくらお前は待てど私は帰らないなどと記載した手紙が送られて来、その後の原告の足取りは不明であつた。原告が家を出た後、被告に対し、原告に六、七百万円を貸してある、返してもらいたい旨の電話が入り、被告を驚かせた。時間が経つうち、返済がない場合は家を売る旨の発言も出るようになつたので、被告は処置に窮し、被告代理人能勢弁護士に相談したところ、法律的な手段をとつても財産を保全した方がよいとの助言を得た。原告は家を出るにあたつて国鉄を退職していたので、その後退職金が振込まれ、約七〇〇万円余があつたので、これも被告が、自己の生活費として保全しておくこととし、同五一年七月三〇日、別紙物件目録(一)記載の土地建物の持分を被告名義とするよう及び、不貞と悪意の遺棄の慰藉料金五〇〇万円の支払を求めて訴を提起し、原告の所在が不明だつたので公示送達手続により訴訟は進行し、被告の訴が全部認容され、右判決は同年一一月一二日確定した。その後被告は別紙物件目録(一)記載の土地建物の持分を自己名義に更正登記し、慰藉料五〇〇万円のうち四〇〇万円をもつて退職金を差押転付して取得した。また、原告が被告に無断で被告を自己の借金の保証人とする目的で被告の印鑑登録をしたことがあつたので、原告の住民登録を抹消する手続をした。さらに、原告名義の預貯金を差押えを避けるためもあつて被告名義に切り替えた。

7  原告は、家を出た後、御殿場で働き、次に沼津へ出て愛子と同居した。原告は、被告と離婚して愛子と正式に結婚したいとの希望を強くし、同五六年ころ被告代理人能勢弁護士と交渉しはじめた。そのころ、原告は金員が必要であつたことから、能勢弁護士に退職金の一部をもらいたい旨及び被告と離婚したい旨を申し入れた。これに対し能勢弁護士からは、被告は離婚する意思は無いようである。退職金中原告に渡すことのできるのは二五〇万円であるとの返答があり、さらに、原告が愛子との関係を継続するならば、原告の資産を被告に渡すことが被告に対する最少限の道義的責任ではないかとの申し入れがなされた。原告は、当時二五〇万円の金員がどうしても必要だつたこともあり、また、そのようにすれば、被告が離婚することを承知するかもしれないと期待し、右申し入れに応じることとした。同年三月二〇日、原告は被告に対し、同四九年一〇月二〇日以降被告を遺棄したことに対する慰藉料六〇〇万円、右期間中被告が原告に代つて原告の母を扶養した扶養料の立替金として三六〇万円、及び右同期間についての原告の被告に対する扶養料として金五〇〇万円合計一四六〇万円の支払義務あることを認め、右支払に代えて、別紙物件目録(二)記載の各不動産の所有権を被告に譲渡することとする代物弁済契約を締結した。その後右契約は履行された。そこで、原告は、同年四月ころ東京に戻り、被告に離婚を求めたが被告は承諾しなかつた。原告は、同年五月、被告との離婚届を被告に無断で提出したうえ、同年六月二二日愛子との婚姻届を提出した。更に、その後、前記代物弁済により、原告に対し多額の税金が課され、原告は、その対策に苦慮し、被告に協力を求めたが協力は得られなかつた。なお、前記被告との離婚及び愛子との婚姻は、同五八年に被告の提起した離婚無効確認、婚姻取消請求訴訟において無効が確認されて婚姻も取消された。

8  被告は、原告出奔後、残された原告の実母と被告との生活を維持するためパート勤務をし、前述のとおりの方法で財産を保全し、取得した退職金や預貯金で生活をしてきた。被告は、年老いて体の弱い原告の母の面倒を見ながら、原告の出て行つた当時の状況と変らない生活をしている。

被告は、現在も原告の母と同居して原告の帰りを待つている。原告の母は、被告との同居を希望し、被告肩書住所地に原告が帰るよう望んでいる。また、被告の居住する周囲には原告の兄弟が集つて住んでいて、皆原告が一日も早く被告の許に戻ることを願つている。

9  原告は肩書住所地において愛子と同居していたが、愛子は同五九年五月死亡した。

10  原告には、一度出た被告の許に戻ることは針のむしろに戻るようなもので戻れないという気持と、出奔後の被告のした種々の法的手続、それによつて原告が資産一切を被告に与え、そのうえ多額の税金まで負担しなければならなくなつた事態に対する憤りの気持から、被告の許に戻る意思はなく、離婚をしたい意向である。

三以上認定の事実によれば、原告と被告との間には二五年に至る円満な夫婦生活の実績があること、被告は原告の実母と同居し、実母は原告が帰ることを望み、原告の親族もそれを望んでいること、愛子は死亡し原告は現在一人住いであること、原被告はすでに老境に入つていることを考えると、別居期間が一〇年に及び、この間に原因は原告にあるとはいえ、種々法的手続等により原告の財産すべてが被告に移転していることを考慮してもなお、今後の事態の推移により、原被告間の婚姻生活が回復する可能性が全くないとはいえず、未だ破綻していると断ずるまでには至つていない。また、仮に破綻しているとしても、原告にその責任があることは明らかである。確かに被告のした種々の法的手続や前述の代物弁済契約は結果として財産関係の精算とも見られるもので、通常であれば婚姻関係を破綻させる一行動と認められるのであるが、しかし、本件については、被告が右行為をするにはそれなりの必要性があり、しかも被告の右行為の原因を原告が作つているのであるから、被告の右行動をもつて破綻について被告にも責任があるとは言えない。

さらに、前記認定の事実によれば、被告の主張を容れることは信義則に反することにはならず、被告の離婚を拒絶する行為は権利の濫用とも認められない。

四よつて、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官岡部喜代子)

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